インフルエンザ騒動で会社がお休みになって
若干暇なので思い出話をここでひとつ。
と、いうことでとうとうアニー閉店になりましたね。
新幹線使って日帰りでご帰宅しようとか、
せめてお菓子のひとつでも郵送で贈ろうとか考えましたが、
結局何もしませんでした。(そうしようと思えなかった)
終わるのってあっけないですよね。
残り3日、2日、1日と。
あぁこの時を大事にしなければならないんだと思っていても
なかなかその日一日を大事に生きるのは難しいものです。
終わってみてから。
それもしばらく経ってみて思い出となってしまってから、
そのときのあたりまえの大切さって気づくものなんですよね。
ご主人様、お嬢様、メイドさん。
それぞれ皆胸に何を感じているのでしょうか?
私がアニーに初めて帰宅したのは、2008年の1月2日でした。
メイド喫茶ブームも遥か過ぎ去ったときに、
公務員としての毎日に絶望を感じていた私は、
お正月のボロアパートのあまりの鬱屈さ加減を晴らしたかったのと、
新年会用のおみやげを買いに当時住んでいた総武線沿いの都。
人の欲望と狂気が渦巻く秋葉原へと出向いたのです。
実はメイドさんに憧れて秋葉原へは何度か来ていたのですが、
正直メイド喫茶はかなり敷居が高かったです。
まずひとつにその場所捜索があまりに難易度が高すぎることと、
得も知れぬ行列さ加減。(正直言って皆バカでしょ?・笑)
今まで来ては何も出来ずに帰る。
と、いう行程を繰り返していましたが、
社会人としてそれは情けないということで、
入念にリサーチを繰り返した結果
とりあえずその当時はまだ話題がHOTだった
耳掻き屋さんの膝枕の柔らかさを堪能しました。(笑)
その他、人ごみにイラつきながらも、
それなりに新年会用の面白土産を仕入れて
当初の目的はある程度達成したのですが、
メイドさんにも触れ合わなくちゃ帰れない。
と、思って最後に寄ったのがアニーです。
秋葉原のマップを片手にあちらへこちらと巡ったのですが、
時期が2日ということで結構どこも休みだったんですよね。
ぶっちゃけ場所的に超逆側だし、ここがダメなら
綺麗さっぱり帰ってやろう。と思っていたのです。
そりゃ1月2日くらい休みで当然なのですが、
極悪非道な経営の店長のおかげで、
私は運良く閉店間際にアニーへ入ることが出来たのです。
そこで出会ったのがセイさんでした。
これが二つ目の偶然です。
何度も本人には言っていますが、
正直セイさんに当たらなかったら
きっと2度と秋葉原へ行くことはなかっただろうな~。
って思っています。(事実耳掻きは二度としていない)
そのくらいセイさんは私の好みの人間でした。
(表現がおかしいけどなんとなくわかるでしょ?・笑)
そしてセイさんには申し訳ないですが、
それからしばらくはセイさんを指名し続ける日々が続きました。(笑)
本当は、当然ネットとかでも各種メイドさんの評判は知っていたので、
他のメイドさんとも戯れて見たかったのですが、
単純にセイさんを気に入っていたのと、正直顔を覚えてもらいたかった。
というのが、大きな理由でした。
後に仲良くなってから話を聞くと、
彼女らは驚くほどお客さんの顔を覚えているものですね。
個人的には自分はさして特徴がないから、
覚えて欲しいなぁ。と思って指名をしていたのですが、
そんなことをする必要はあんまり無かったみたいです。(笑)
(そりゃあ、あれだけしゃべれば嫌でも覚えるよね・笑)
そんなこんなでセイさんをしばらく指名し続けていましたが、
ある日今までは静かだったじいやさんが、メアドをそっと渡してくるという
個人的にはちょっとしたハプニングが私を襲いました。
最初メアドをもらったときは、ビビリました。
ちょっと前にしたときのじいやさんの話を聞いていたし、
あぁ。なんか悪いことをしてしまったのかなぁ?
きっとメイド文化も裏は893がついていて
オトシマエをつけさせるんだぁ。どうしようと。
と、普通にセイさんに相談をしてしまいました。(笑)
後にメールをしてみて気づいたのですが、
じいやさん的にはこういった類の行動は、
結構お客さんを気遣ってしているみたいでした。
やっぱり男と女が密室でえへへなお仕事なので、
どうにもならない恋心を抱いて時にはBIGなアクシデントに
発展してしまうのを事前に防ぐじいやさんならではの気遣いでした。
もちろん私もセイさんのことは少なからず好きだったのですが、
その時私が見ていたものはずっと先の未来でした。
あぁ・・・。
まぁ、言ってしまうのも恥ずかしいのですが、
私はメイドリフレの人々を見てなんて輝いているのでしょう。
と、勝手ながらに感じていたのです。
公務員になったことない人たちにはわからないのでしょうが、
公務員業界の独特の閉塞感というものは、
今思い出してもたまったものではありません。
すでに構築された巨大で頑丈な何かから
ただ目の前にある当たり前の出来事を当たり前にこなす日々。
特に苦しくも無く特に楽なわけでもなく、
それなりに毎日を過ごしてそれなりに入ってくる対価。
そんな日々の繰り返しに正直私は疲れていたのです。
そこで出会ったセイさんは私と同じ年齢ながら、
自分の目的のために毎日を一生懸命働く日々。
正直彼女は輝いていました。
英語で言うとShe is shine.She is my sun.なのです。
「彼女は死ね」ではありません。
「彼女は私の息子です。」でもありません。
文章で書いているとバカらしいと思いますが、
私はマジでメイドリフレの人々を見て、
あぁ、転職しなくちゃ。と考えたとても貴重な人間なのです。(笑)
これがおおよそ1~3月の思い出です。
暇だったので普通に書きなぐって見ましたが、
紛うことなき事実なのが残念です。(笑)
こうして年の変わりとともに
人生を変えるきっかけを見つけてしまった私は、
さらに激動の1年を歩み続けるのでした。
(続く?)
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