久しぶりのお休み。
一日12時間休憩無しの週6とか
結構余裕じゃないの?と思ってたけど、
地味に体に負担がかかってくるみたいですね。
週40時間までと定めた労働基準法は正しい!
そしてとりあえず腰が痛すぎる。(笑)
引越ししてわずか1ヶ月?
というかまだ転職してから
9ヶ月しか経ってないのに今更ビックリ。
1年前は、千葉の田舎のわずか4畳の小汚い部屋で、
毎日毎日ぼ~っとして過ごしていたわけですか。
何を間違えてか転職して、
町田という半東京での生活は、思ったより楽しかったなぁ。。。
町田という町は、小田急線沿いにあるため、
東京までかなりでやすくまた地価もそれなりに安いため
比較的かなり若い町だという印象でした。
中学生や高校生があふれるのはもちろん、
結婚したて、新築したてのような若い夫婦も多かったり、
道を歩いているだけで刺激が結構ありましたね。
いくつかのでかいデパート上の建物もあれば、
一歩路地裏に入ると謎の店が並ぶ下北沢的雰囲気もあり
買い物でまず困ることはないような感じでした。
(怪しい風俗的な店が多くてある意味困りもしましたが・笑)
私の住んでいた場所は住所上は相模原市なのですが、
町へ出れば栄えているし、逆へ進めば国道沿いに
ショッピング街があるというところも面白かったですね。
地方と都心の良い所をミックスしたような感じです。
とりあえずかっぱ寿司とジャスコが地方では強いなぁ。。。(笑)
職場の環境にも恵まれました。
私の配属先の所属長は、東日本全体を統括する
部長でもあるので非常に気配りのできる人でした。
また、所属先の規模も関東では比較的大きく
多くの人と出会えて色々なものを吸収できたのが良かったです。
それにしてもこの1年間の仕事内容の反転ぶりは、
自分でも驚くような内容の豊富さだと自分ながらに思います。
前職は技術系の安全管理がメインだったので、
職場はすべて男性でした。しかもほぼおじさん。(笑)
タバコと酒とパチンコが主な話題で、
お洒落な話題などかけらもありませんでした。
ところが現職は、自分でも良く採用されたと思えるほどの
お洒落ワールド。(笑)
ある意味ホスト的接客業なので、職場の半数以上が女性。
なおかつ目を疑うほどの美男美女ぞろい。(特にバイトさん)
個人的にここに居ていいのかな~?ってずっと思ってました。(笑)
仕事の内容も半分は、精神論だったり、
トークや上っ面に関する内容だったので、
仕事内容は前職に比べて相当楽に感じました。
いわゆる文系的仕事と理系的仕事の決定的違いですね。
数字で仕事が評価されるのが、
個人的には決定的に前職と違うと感じていて
そこがひとつの楽しみでもありました。
やはり前の仕事は安全管理という
数字では出にくい仕事だったことに加え、
どうにも公務的な仕事でもあったので評価が一律でした。
ただやはり民間のしかも営業的な仕事は、
一瞬で数字が出てしまうのが残酷でも有り魅力でもありますね。
良ければ即決でボーナス出るし、
数字でないと真面目に死にたくなります。(笑)
まぁ、私は押しつけとかそういうのが嫌なので、
自分が思ったことを思ったとおりにやっていただけなのですが、
それでも多くのお客様に支持していただけたのが、
最高に嬉しかったです。
営業において「何を売るか」なんて
たいした問題ではないのです。
当たり前ですがどこの開発部門も
自社で最高と思える商品を用意しているので、
そこに「差」はないのです。
あえて「差」が出るとしたら「人柄」
サービス業の大部分は、
「人柄」だったり「雰囲気」だったり「感性」を
売っているのだと考えたほうが正しいでしょう。
接客業の魅力は、嫌なお客さんもいるけれど、
多くのお客さんは良い人であると気づかされるときですね。
本当に私はお客さんにも恵まれました。
しかし何より楽しかったのは、
同じ課の上司のトマトさん(仮名)と白兎さん(仮名)に
恵まれたことでした。
トマトさんは、年下なのですが
いつでも明るく、仕事に熱心でパワフルで、
美味しいものが大好きで、何よりどんな人の心でも共感できる
優しさが魅力の人でした。
白兎さんは、年齢的にはひとつ上なのですが、
非常に物腰が柔らかく細かい気配りが出来るところが、
何より魅力の人でした。
人間って年を取れば取るほど変にプライドなり、
純粋さがなくなるのですがいつまでも白兎さんみたいで
ありたいなぁ。と思わせるような素晴らしい人柄でした。
この3人は本当に仲良しでしたね。
お正月から退職までに何度ご飯を食べに行ったか。
はっきり言うけどもう酷い。
1~2月が暇だったせいもあって、
週4~5くらいで飲みに行ってたよね。
そりゃ冬のボーナスすでに全部使い切ってるのも当然だし、
体重が7kgも増えるのも納得ですよ。(笑)
当たり前だったあの風景が、
ひとつ道を違えばもう見えないことが、
もちろん知ってはいたことだけれど悲しいですね。
誰に進まされた道でもなく、
自分自身が選んだ道のはずなのに。
今でも思い出してしまうのが、
町田の自宅を出てから目の前に広がる風景。
無駄に広かったおうちから一歩外に出ると、
そこには神奈川特有の無数に広がる住宅地。
右へ左へ。左へ右へ。
細い路地裏を何度かくぐり抜けながら、
ビックリするような坂道を下った先には、
雨になるといつも氾濫しちゃう境川。
川沿いに今日も太陽が高いなぁ。
なんて、お昼休憩の営業車を横目に歩けば、
そこはもう町田駅前。
町田の駅前にはいつでも人が多くあふれていました。
今になって不思議に思うのですが、
みんな何をあんなにあふれていたのかなぁ?(笑)
そんな当たり前を手にすることはもうなくなりました。
だけど過去には過去の、今には今の当たり前がそこにはあります。
いつだってその当たり前は最初からないんですよね。
今の当たり前が幸せになるように、
また一歩一歩作らなくてはいけない日々が続きそうです。
・・・にしても作ったもの作ったもの、
すべてを投げ捨てて生き急いでるような人生だなぁ。。。
3年前はまだ大学生だったんですってね。
昔のブログを見てみたけどそれはもうビックリです。
すげぇ子供でした。(笑)
当時は俺はすごい大人だって思ってたんですけどね。
人にとって3年間ってめちゃくちゃでかいですよね。
22~24なんて、
孔子から言わせたらまだまだお子様ですものね。
30にして立つ。40にして惑わず。
一人歩きできるその日まで、
まだまだ学ぶべき日々が続きそうです。。。
でも、少し疲れた。(笑)
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